みてきたことやきいたこと

私が「見て、聞いて、体験したこと」 私が私を満たすための自己満足なブログ 喜びも悲しみも不安も期待も わたしのことばのエネルギー 「思いをつなぐ、思いを届ける」

私の中にある「絶対」

この世界に「絶対はない」といわれるけれど、

 

私の中には、一つの「絶対」があって

 

ヒロトマーシーだから」

ということは、もう私の中では絶対なのだ。

 

私を作ったものが

ヒロトマーシーの音楽だったから

 

私をここまで運んできたのが

ヒロトマーシーの音楽だったから

 

何があっても

私の中で、ヒロトマーシーというだけで

絶対的な安心感が生まれるのだ。

 

 

自分ではない、別のものに絶対を持つのは危険かもしれない。

でも、危険かもしれないと分かっていても

その絶対は揺るがないのだからしかたない。

 

ただ、その絶対は

自分の中で、自分のものとして生きていると思う。

 

始まりは、「ヒロトマーシー」なのだけど

それが、自分の中に入ってきて

自分と共に生活をして、時間を過ごして

残ってできたものが

「私の中の絶対」になっている。

 

同じ、ヒロトマーシーだったものでも

私ではない人と共に過ごした、それは

私の中の、絶対とは違うものだから。

 

「私の中にある、ヒロトマーシー

 私の、絶対的なもの」なんだ。

 

 

宇宙兄弟の、日々人も

自分の中に絶対を持っている人なんだよね。

 

日々人の絶対と、私の絶対は違うけれど

絶対を持つ日々人にも、私は憧れる。

 

ちなみに、兄の六太は

憧れるというよりは、近くにいて欲しい人だな。